Life is what happens to you while you are making other plans.
「日々の暮らしのなかで、今、この瞬間とは何なのだろう。ふと考えると、自分にとって、それは“自然”という言葉に行き着いてゆく。目に見える世界だけではない。“内なる自然”との出会いである。何も生みだすことのない、ただ流れてゆく時を、取り戻すということである。」
2002年6月、ミラノの仲間と一緒にヴェネチアで開催されるビエンナーレという美術展覧会を見に行ったとき(出展したのは仲間の彫刻家Codice Biancoさん)、わたしは、列車の中で星野道夫さんの『長い旅の途上』を読んでいました。星野さんの存在を教えてくれたのは、ミラノ在住の写真家仁木さんです。星野さんの生きかたは、わたしにとってとても衝撃的でした。日本の生活を捨ててアラスカへ。なにが彼をそんなに遠くまで行かせてしまったのか。
わたしの長い旅もすでに始まっていました。それを特に感じたのはイタリアに住み始めてからです。そのとき、わたしはもう日本国籍を失っていました。「わたしは国籍なんかにこだわる人間じゃない」と思い始めていたのかも知れません。でも、まだまだ口先だけでした。イタリアで活動しているアーチストの仲間たちは、島から島へと自由に飛ぶ鳥のようでした。彼らには国籍も国境も関係ない。あるのは、その向こうにあるなにかへ到達したいという願望だけ。そんな彼らの生きかたに、わたしは憧れていたのです。
そんなとき、沖縄ではじめてザトウクジラの水中撮影に成功した大学の後輩の写真集に出会いました。それから、わたしはクジラに会ってみたいと思うようになりました。彼らには国籍なんかないじゃないか、と。その願いが叶ったのは、2005年の誕生日、アルゼンチンのヴァルデス半島でのことでした。南極からアルゼンチンまで命懸けで回遊し、出産・子育てをする母クジラを目の前に、小さなことで悩んでばかりいる自分がちっぽけな存在に思えてならなかった。厳しい自然のなかで生きる彼らが偉大に思えてしかたがなかった。
「クジラは圧倒的な生きものだった。・・・・僕たちは巨大なクジラに感動する。それは、生命のもつ不思議さというより、一頭のクジラの一生を超えた果てしない時の流れにうたれているような思いがする。それは人間をも含めた生物の進化とか、地球とか、宇宙につながっていくような存在だった」
あれからもう何年が過ぎたのでしょう。クジラの回遊にはおよびませんが、北と南半球の八つの季節を何度も往復しました。心をいくつにも切り刻んで愛すべきひとびとのもとに置いてゆきたいと、なんど思ったことか。「また会えるんだから」という何の保障もない慰めだけを頼りに、地球の裏側へ飛んでいく鳥。この忍耐強い回遊を繰り返しているうちに、わたしが学んだことは、どこかへ帰ることではなく、二度と会えないことを覚悟のうえで飛び立つ勇気だったのかも知れません。
「それぞれの美しい季節にこの世であと何度、巡り合えるのか。その数を数えるほど人の一生の短さを知るすべはない。」
いつからか、自分の生命と自然とを切離して考えることができなくなったという星野さん。すっかり自然と同じになってしまっていた星野さん。あなたは、あなたを襲った熊を恨んでいますか。ここに生きることの「約束」がどういうことなのかよく知っていたあなたは、あの熊ですら愛せてしまうのではないですか。
あなたのような大きな魂が存在しうるということだけでも、知ることができて良かった。わたしもこれから長い旅を続けます。永遠が相手なら、なにも急ぐことはない。ゆっくり歩いてゆきます。
「わたしは、次第に『色がそこに在る』というのではなく、どこか宇宙の彼方から射してくるという実感を持つようになった。色は見えざるものの領域にある時、光だった。我々は、見えざるものの領域にある時、霊魂であった。色も我々も、根元は一つのところから来ていると。そうでなくて自然の色彩がどうして我々の魂を歓喜させるのだろうか。」
(『長い旅の途上』星野道夫)
Photo by Robin M.
Peninsula Valdes y Puerto Madrin