2009/11/17

"Querido en todas partes" だれからも愛されている

 ここに住んでいると「アルゼンチンは好きですか」とよく聞かれます。そして、わたしの答えは、いつも「Si(はい)」。来たばかりの頃は、目にするもののすべてが新鮮で、危険も省みずにあちこち出歩いてばかりいました。この国がいったいなにを抱えているのかまったく知らずに。

 歴史の本を読めば、ここでなにが起こったのか知ることはできます。でも、感じることはできません。最近、わたしは自分がとても貴重な体験をしているのだと感じ始めました。イタリアからアルゼンチンに引越すことになったとき、「一生のうちに南米で生活できるなんて凄い!」と思ったのを覚えています。南米のことなんかなにひとつ知らなかったのに、いろいろなことを学ばせてもらうことができて、アルゼンチンという国には感謝しなくてはなりません。「でも、それは、ここに一生いないとわかっているから言えること。」そう言ったのは、ここにずっと住んでいるひとです。確かに、5年~10年の短期滞在者の台詞、戯言に違いありません。

 今日は、イタリアから約60年前にアルゼンチンに移住したL氏に会いに行ってきました。モンテ・グランデ(Monte Grande)というブエノス郊外の街に住んでいます。現在82歳。17歳で体験したドイツの強制収容所のこと、生き延びてドイツからイタリアまで歩いて帰ったこと、兵役を務めた後に段ボールを鞄代わりにアルゼンチンに渡ったこと。それからの50年間はただひたすら働いて事業を起こし、現在は障害者のための学校を設立、その教育にも力を入れています。奥さまはナポリ出身です。当時の移民は、まず父親がひとりで旅立ち、生活の基盤が整ったら家族を呼び寄せるといった10年計画。後は馬車馬のようにひたすら働いてきたそうです。「楽ができるようになったら、もう生きる時間がなくなってしまった」というL氏、現在はワイン作りが趣味なのだとか。苦労話は世界中どこにでもあります。でも、こうした体験談を直接聞くことは、わたしにはとても貴重なことでした。


 もうひとつは、ブエノスの街をほんの一歩出たところにある現実をこの目で実際に見たということ。30分ほど車を走らせたところに、その砦はあります。アルゼンチンのサッカー選手テベスの出身地としても知られているフエルテ・アパッチ、ブエノスでは最も危険な地区です。そして、その先にあるのはカミーノ・デ・シントゥーラ(Camino de Cintura)、日が暮れたら通るべからずと言われている通りです。そこにも、当然のことながら、ひとびとの日常生活があり、じぶんのと同じように時間も流れているわけです。ただ違った掟に従っているというだけで。

 この国の人口の40%が貧民だという事実、それをどうにもできない政治。確かに、ここに一生住むことになったらアルゼンチンでいろいろと学べたなんて悠長なことは言っていられません。この現実を見ていたら、どうしようもない、手に負えないと思うのが正直なところかも知れません。理不尽なことが公然と行われているアルゼンチンという国にはあらゆるスタイルの弱肉強食の力関係があります。こうした襲撃も、生き残るための狩りのようなもの。テベスもそんな中で育ってきたはずです。けれども、彼が"Querido en todas partes"(だれからも愛されている)と呼ばれるのはなぜなのだろうと、考えてしまいます。「時が来ればみんなバスから降りなくてはならない。もしバスに残っている乗客がみんな自分の子どもだと思えたら安心して降りられる。」L氏の言葉も心に残りました。