2010/03/21

La Felicità



E crescendo impari che la felicità non e' quella delle grandi cose.
Non e' quella che si insegue a vent'anni, quando, come gladiatori si combatte il mondo per uscirne vittoriosi...
la felicità non e' quella che affanosamente si insegue credendo che l'amore sia tutto o niente,. ..
non e' quella delle emozioni forti che fanno il "botto" e che esplodono fuori con tuoni spettacolari...
la felicità non e' quella di grattacieli da scalare, di sfide da vincere mettendosi continuamente alla prova.

Crescendo impari che la felicità e' fatta di cose piccole ma preziose...
...e impari che il profumo del caffe' al mattino e' un piccolo rituale di felicità, che bastano le note di una canzone, le sensazioni di un libro dai colori che scaldano il cuore, che bastano gli aromi di una cucina, la poesia dei pittori della felicità, che basta il muso del tuo gatto o del tuo cane per sentire una felicità lieve.

E impari che la felicità e' fatta di emozioni in punta di piedi, di piccole esplosioni che in sordina allargano il cuore, che le stelle ti possono commuovere e il sole far brillare gli occhi, e impari che un campo di girasoli sa illuminarti il volto, che il profumo della primavera ti sveglia dall'inverno, e che sederti a leggere all'ombra di un albero rilassa e libera i pensieri.

E impari che l'amore e' fatto di sensazioni delicate, di piccole scintille allo stomaco, di presenze vicine anche se lontane, e impari che il tempo si dilata e che quei 5 minuti sono preziosi e lunghi più di tante ore, e impari che basta chiudere gli occhi, accendere i sensi, sfornellare in cucina, leggere una poesia, scrivere su un libro o guardare una foto per annullare il tempo e le distanze ed essere con chi ami.

E impari che sentire una voce al telefono, ricevere un messaggio inaspettato, sono piccolo attimi felici.
E impari ad avere, nel cassetto e nel cuore, sogni piccoli ma preziosi.

E impari che tenere in braccio un bimbo e' una deliziosa felicità.
E impari che i regali più grandi sono quelli che parlano delle persone che ami...
E impari che c'e' felicità anche in quella urgenza di scrivere su un foglio i tuoi pensieri, che c'e' qualcosa di amaramente felice anche nella malinconia.

E impari che nonostante le tue difese, nonostante il tuo volere o il tuo destino, in ogni gabbiano che vola c'e' nel cuore un piccolo-grande Jonathan Livingston.

E impari quanto sia bella e grandiosa la semplicità.

(Fabio Volo)

≪幸福≫ 

大きくなったらわかるよ。本当の幸福は大業を成すことじゃないんだよ。
二十歳のころは僕だって世界を向こうにまわして勝負しようとしていた。
まるでグラディエーターみたいだよね。

幸福というのは、息せき切って追いかけるもんじゃない。
そう、愛とはなにか、その答えを出そうとしたりしてね。

また、みんなをあっと驚かせるような目だったことをすることでもないんだ。
幸福っていうのは、摩天楼を制覇しようと頑張ることでもない。

そのうちわかるよ。幸福というのは、本当は小さなことにあるんだ。たとえば、毎朝いれるコーヒーの香りとか、歌とか、こころ和ませてくれる本とか、台所のにおいとか、幸せそうな絵とか。じぶんの飼い猫や犬の顔を見ているだけでもいい。

幸福というのは、ほんの些細なことでもこころが満たされるっていうことなんだ。星はきみを感動させることもできるんだよ。太陽だって目を輝かせることができる。ひまわり畑もきみの顔を照らすことができるんだ。春になれば、木陰に座って本を読んだりもできる。気持ちが休まるよ。

愛っていうのはね、近くにいるひと(遠くにいるひともそうだけど)に感じる、本当に細やかな思いやりのことなんだよ。こころのこもった時間であれば、ほんの5分が何時間よりも意味があったりする。

目を閉じて感覚を目覚めさせてごらん。料理をしたり、詩を読んだり、本を書いたり、写真を見たりしていたら、時間と距離なんかなくなってしまう。そして、じぶんのたいせつなひとたちと過ごすんだ。

電話やメッセージを受け取ることだって幸福だよ。こころの引き出しに小さな夢をとっておくことも大事だ。

本当に、そのうちわかるようになるよ。赤ん坊を抱っこすることが喜びだっていうこと。そして、最大の贈りものは、たいせつなひとたちの言葉かな。忘れないようにじぶんの考えを書きとめたりするのも幸福。悲しいことのなかにだって、それなりの幸福は見つけられるものだしね。

わかってほしい。きみがどんな風に生きていこうと、だれもがあの小さな偉大なるジョナサン・リヴィングストンなんだ。

わかってほしい。素朴で純真であることが、どんなに美しいことか。

2010/03/19

Nuovi orizzonti


 一昨年の秋、パリのギャラリーのコンクールに参加した。モンパルナスにあるギャラリーまで応募の書類を持って、ホテルからてくてく歩いて行ったわけだが(そのときにアラン通りを見つけた)、そこで待っていた主宰者のパブロさんが、パブロというからにはスペイン語圏の出身なのだろうけれど、まさかブエノスのひとだとは夢にも思わなかった。

 日本人のわたしが、ブエノスからコンクールに直々に応募に来るというのも珍しいケースだったのだろう。とても驚いていた。そして、イタリア、フランス、アルゼンチンの三カ国で映画の共同制作を考えているが、わたしにも加わらないかともいう。でもね、わたし、まだまだ駆け出しですよ。

 コンクールでは二位を受賞させていただいたけれど、あれ以来映画の話も特に持ち上がらず、没ったのだろうと思っていたら、そうでもなさそうだ。そのパブロさんが、今ブエノスに来ている。どうやら、わたしが、あのギャラリーの扉を開けてブエノスの空気を届けたときから、一度ブエノスに帰ってみようと思い始めたらしい。ブエノスが僕を呼んでいる~としきりに叫んでいた(笑)

 彼がパリに移住したのは30年前。当時のアルゼンチンには軍事政権が敷かれており、多くのインテリ学生たちが捕らえられて抹殺された。学生たちはヨーロッパ(特にパリ)に逃げるほかになかった。15年振りに戻ったアルゼンチンは、パリに住む彼の目にはとても新鮮に映っているようだ。

 今日は、マルバ美術館でキューバ展があるというので一緒に出かけてみた。パブロさんのお嬢さんのフロレンシア(彼女はパリでタンゴを教えている)や35年振りに再会した旧友のべべ、そして、ボルヘスの展示会を手がけるマッシモやイタリア関係のジャーナリストのルチア、それから、上智に留学していたというマイテ、そして、その友だちのパリジャンでルーマニアのブカレスト在住のジャーナリスト、ミラノ領事館にいたアルゼンチンの外交官、そしてそして、とにかく、ぞろぞろと芋づる式にみんなに会うことができた。キューバ展のヴェルニサージュということで、みんなドレスアップしていたけれど、わたしはそうとは知らず、ただの展示会だと思ってジーパンと黒のTシャツというスタイル。でも、違和感はなし(笑)

 ここでひとつ不思議な話。一昨年パリに行っているとき、わたしはフリエッタの紹介で行くようになったヨガの学校で絵の展示をしていた。映画のことでパブロさんと繋がったルチアの家はその隣のブロックにあり、パブロさんの親友ライモンドが経営している心理学専門の書店はヨガの学校の一本違いの筋に。そして、フリエッタもパブロさんのブエノス・パリの文化交流に協力することに。わたしは、いつのまにか、パリとブエノスを結ぶアンテナになっていた。海亀マジックだ。

 今夜は、マイテとパリジャンのジャーナリスト、そして、べべとパブロさんと、ブエノスの作家や画家がよく集まるfiloというピッツェリアに行った。そこでまた、フリオ・ピレラ・キロガ(Julio Pirrera Quiroga)という作家に出会い、その著書『El árbol de las urracas』をいただいた。イタリア関係の友だちの友だちにも会い、もう出会いが出会いを生んで、留まるところを知らず。パリから来たパブロさんのおかげで、わたしのブエノスでの交友関係がたちまちのうちに広がっていった。ここで送るあと一年ちょっとが、この先のローマでの生活に繋がっていくような気がする。

 ちなみに、パブロさんは、詩人。そして芸術関係の映画も制作している。最近、本をパリで出版したのだが(『Le rien plein de joies』)、それもこちらでスペイン語で出版するらしい。実は、わたしも、数日前にようやく三年越しの小説一本を書き終えた。展示会が終わって一息入れたらスペイン語に翻訳する予定。もちろん今度はじぶんで(笑)