2010/02/19

Sea Turtle!


 
 ある日、ワイキキで海水浴をしていたら三匹の海亀があらわれた。その大中小の三匹は、ずいぶん長いあいだ、混雑した遊泳区域で頭を出したり引っ込めたりしていた。これは、かなり珍しいことなのではないかと思う。最初に見つけたのはマーク。泳いでいたら丸い物体が近寄ってきたのでパニックになりそうだったのだという。偶然なのか、彼の買ったばかりのボディ・ボードの絵が、それと同じ、三匹の大きさの違う海亀。絵の世界から飛び出してきたんじゃないかと思ってしまう。
 
 海亀は「神さまの使い」。浦島太郎の亀も、海という異次元トンネルを抜けてあちらにある竜宮城へ連れて行ってくれる。そこは、ニライカナイ、南洋の果てにある魂のふるさと。海亀に出会うのは "Auspicious"(幸運)だから、なんだか嬉しくなってコナの木(ハワイのみに自生する聖なる木)でできた三匹の海亀のブレスレットをお守り代わりにすることにした。

 ブエノスに帰ってから立て続けに偶然が起こっている。偶然には慣れているのでまったく不思議はないけれど、なにかに気づかせるように起こってくれているような気がしてならない。いったいなんのために?

「時間が進んでいった先には、わたしたちはどこから来て、どこへ行くの?への答えなんてないんだよ」

 この言葉が頭のなかを過ぎる。長距離を移動する旅をしていると、物理的な時間ばかりに気を取られてしまう。いつのまにか、「ああして、こうして、それから今度は・・」という生活に追われ、時間は直線的に前に進むものとしか感じなくなってしまう。ブエノスに戻ってからもそんな生活をしていたら、偶然が起こり始めた。そのとき、まるで、異次元トンネルがそこにあるかのように、それまでの場所と時間の感覚が壊れた。海亀だ!

 先日、Magorium(マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋)という映画を観た。ダスティン・ホフマン演じるマゴリアムおじさん、いつも笑顔でいる友だちのアンジェロにあまりにも似ていて、まるでアンジェロが演じているような気がした。服装もさることながら、歩き方や仕種、話し方から顔の表情にいたるまでそっくりだ。それだけではない。アンジェロには、本当にマゴリアムおじさんなのかも知れないと思わせるようなところがある。

 現実では彼はリアリストだ。そうでなければ医者稼業などできない。ネクタイ屋の主人という副業も持つが、メスが鋏に、皮膚が布地に変わっただけで、通じるものがある。でも、なにをしていても、彼は決してメカニカルにはならない。ファンタスティックなのだ。だんだんアンジェロが海亀に見えてきた!

 243歳のマゴリアムおじさん、じぶんがこの世を去る決意をするのだが、悲しい顔などまったく見せない。わたしは、映画を観ながら、いつかアンジェロがくれた詩のことを思い出していた。


Un frutto: il sorriso

esiste:
esiste il bene ed il male
esiste il bello ed il brutto
esiste il buono ed il cattivo

pensa:
pensa al bene e somatizzi un sorriso!
pensa al bello e somatizzi un sorriso!
pensa al buono e somatizzi un sorriso!

pensa:
pensa al male...t'inaridisce e rattrista.
pensa al brutto...t'inaridisce e rattrista.
pensa al cattivo....t'inaridisce e rattrista.

vivi:
vivi la vita gaia e gioiosa
vivi e.....sorridi
pensa e.....sorridi
muori e.....sorridi


 「人間の知覚も思想も想像も及ばない、徹底的に異質な領域が「ある」ということを、「古代人」は知っていた。つまり、世界は生きている人間のつくっている「この世」だけでできているのではなく、すでに死者となった者や、これから生まれてくる生命の住処である「あの世」または「他界」もまた、世界を構成する重要な半分であることを「古代人」は信じて疑わなかったのである。」(『古代から来た未来人 折口信夫』中沢新一) 

 

2010/02/08

Where are you from?

 

 ヴァカンスのあいだ、ハワイでは、どこへ行ってもこう聞かれた。

 Where are you from? 

 常夏の楽園ではあるが、ホノルルは立派な国際都市でもある。ハワイからブエノスに戻ってきたとき、コスモポリスであるはずのブエノスが世界の片隅に思えた。足の踏み場もないほど混みあったワイキキ・ビーチでは、そのひとりひとりがすべて違った国籍と文化的背景を持っているといっても過言ではない。そこは、まるで平和な国際文化交流の舞台のようだった。

 だから、どこに行ってもまずは、Where are you from? と聞かれる。そのたびに返事に困った。住んでいるのはアルゼンチンだけれど、国籍となるとひとことでは説明できない。ところが、聞いてくる相手もそのエスニック・バックグラウンドは複雑とみえて、どんな答えが返ってきてもそう驚きはしない。祖国から遠く離れて長いひとばかりなのだ。

 今回、わたしたちは、あるチャイニーズ・アメリカンに出会った。カンボジア生まれ。幼少で家族とアメリカに亡命した彼は、アメリカンとして育った。学校を卒業した後、家業を手伝ったりしていたが、What's my life? と問い直し、じぶんの人生をじぶんの手でゼロからやり直そうとハワイにやって来た。オープンマインドとチャレンジ精神というのが彼の哲学だ。

 では、なぜハワイだったのか?

 人種の坩堝、文化の混在、メインランドと同じように社会問題はやはりある。でも、それよりも圧倒的に大きな力を振るっているものがここにはあった。せこせこしたものをすべて黙って呑み込んでくれるものがあったのだ。だから、アイロニックにならずに済むし、ひとともストレートに笑顔で向き合える。

 もうひとつつけ加えるとすれば、間近にアイランダーたちの生き方を肌で感じることも、潜在的に生き方を変える手助けになっているのかも知れない。強くていつも正しいアメリカが島の小さな文化と触れ合ったとき、What's been my life? と問い直すことになる。じぶんたちの価値観だけで世界は動いていると思っていたひとびと。豪邸を建ててサンセットさえも独り占めしていると勘違いしているひとびと。自由の代償に孤独を引き受けることになってしまった彼ら。そんな彼らの傍にある小さな文化は、悠久の歴史の鼓動を足の裏に感じ続けている。大地に繋がっているのだ。

 南洋の植物を見ていると尖がったものがないのに気づく。葉っぱも枝もゆるやかに大地に向かって垂れている。防衛のために硬直したり攻撃的になったりする必要がないのだ。強風にもしなやかに揺らぐ。バニアンのキオーマ(葉の茂み)は、大きな森のように広がる。その緑の塊はいくつもの幹に支えられているが、上に伸びる空間がなくなってしまった枝たちは、方向を変えて大地へ向かう決意をした。それが、キオーマをさらに育てることになる。

 Where are you from?

 わたしは、いつになったらMother Earthと、こころの底から答えられるようになるのだろう。