2010/09/30

サン・テルモ、善悪の彼岸

 
 先週の日曜日、ペルーから遊びに来ているスペイン人の友だちドラとサン・テルモの骨董市に繰り出した。彼女は、ここで買い物するのが大好きで、ペルーに引越す前にもたくさん骨董品を買っていった。

 朝10時半ごろ、ドラが滞在中のミクロ・セントロ(中心街)まで歩いて出かけた。日曜日の朝は人通りもほとんどなくて快適と思いきや、アパートの前で呼び鈴を鳴らしていると、酔払いか薬中で舌がまわらない男の子が絡んできた。すかさず猛ダッシュ。遠くからようすを見ていると、こんどは歩いてきた二人連れの女の子に絡みはじめ、その子たちも走って逃げていった。朝っぱらから物騒なこと。夜はどんなだろうと思ってしまう。 というわけで、この日はちょっと嫌な始まり方だった。


 サン・テルモまではタクシーを拾うことにした。陽気でおしゃべりな運転手、観光客っぽいわたしたち(実はふたりともそうじゃないのだが)を乗せるとサン・テルモへご案内いたしましょう、ととても親切。ところが、オベリスコあたりでメーターの上がり方が早いことに気がついた。ほんの10区画ですでに25ペソまで達している。隠しボタンでチャカチャカとメーターを上げているに違いない。そんなときはすぐに降りるのが良策なのだが、いろいろと事件の多い昨今のブエノスなので、しぶしぶ30ペソ払ってタクシーを降りた。後で別のタクシーに聞いてみたら、多くて半額だろうとのこと。

 
 サン・テルモに到着すると、ドラが店のひとたちと気軽におしゃべりし始めた。こんなに大勢観光客がつめかけるなかで、しっかり顔を覚えているのだから、彼女はかなりインパクトがあるのだろう。わたしの知る限り、ドラはすでに数回は、こういう店で騙されている。善人との出会いももちろん多いのだけれど、悪人との出会いもかなりあったようだ。偽物の宝石をつかまされたり、法外な値段で売りつけられたり、引越し前に買った家具を梱包したまま荷物に積んでペルーに持って行き、向こうで開けてみたところ、おんぼろ家具にすり替えられていたり。騙すより騙される方が良いなんてよく言うけれど、こう度重なるとどうなんだろう。


 サン・テルモの骨董市には盗品が多いという噂もある。去年、警察署で一緒に展示会をした画家が教会に寄付した作品が盗まれ、その数ヵ月後、サン・テルモの骨董市を歩いていて偶然みつけたというエピソードがある。

 わたしはブエノスに住んでいながら、サン・テルモにはもう何年も行っていなかった。デフェンサ通りは露店でぎっしり。ところどころでジャズや南米音楽なども演奏していて、なかなか盛り上がっていた。アート・ギャラリーもさることながら、面白い南米素材のグッズもたくさん並んでいる。いくら詐欺まがいの商売が多いとはいえ、ブエノスに来たら寄らないわけにはいかない魅力的な場所である。

 帰りは、ボルヘスでやっている展示会に顔を出して、帰途、またタクシーを拾った。タクシーに対して用心深くなっているわたしたち。停まってくれたタクシーのおじさんの顔をドラが近くでじっと見極め、このひとなら大丈夫だと思ったのかなにも言わずにドアを開けて乗った。よくあることなのか、それとも、わたしたちの意向がわかったのか、「わたしは善人の顔でしょうか」と尋ねるおじさん。朝のいきさつを話すと、そういう輩がいるためにブエノスのタクシー運転手の評判が悪くなって困ると嘆いていた。

 ドラは、ひとを疑ってかかることはどうしてもできないのだという。いくら騙されてもサン・テルモをこよなく愛するドラだった。 


2010/09/10

La muestra VIS A VIS


  ブエノスのボルヘス文化センター (Centro Cultural Borges) で昨日からガブリエル・ロペス・サンティソ (Gabriel Lopéz Santiso) とわたしの展示会が始まった。2010年を通して開かれているこの"VIS A VIS"は、まったくスタイルの違うふたりの画家の作品を照らし合わせてなにかを感じてもらおうというもの。そのオープニングのレセプションが昨日の夜、開かれた。

 この日のために、これまでせっせと創作活動に専念してきたわけだが、大きな会場で作品を展示するのは今回がはじめて。前日の搬入のときにはじめてガブリエルと顔を合わせ、彼の作品を実際に目にしたのだが、アルゼンチンの素晴らしいアーチストと同じ空間をシェアできることをとても嬉しく思う。

 彼の作品は、わたしのとは対照的で、アクリル絵の具がふんだんに使ってある。カラフルなチューイングガムを細長く伸ばして貼り付けたようでボリューム感があり、それが、細かく網の目のように張り巡らされており、色が何層にも積み重ねられていて、色の下にまた色がある。色には濃淡はなくただひたすら平坦なのだがラインが奥行きを感じさせる。見事なファンタジーの世界だ。

 一方、わたしの作品は、絵の具の量がさっぱりわからない超エコロジックでエコノミック、まるで「空気のような筆使い」と言われている。 ガブリエルの作品の前にいると、エネルギーがこちらに押し寄せてくるのだが、わたしの絵は、そのなかに入っていけるような感じがする。幾重にも色が重なっているのでトーンは暗いけれど、だからといって明るさのないもの悲しい絵というわけではない。墨絵のなかにも光を感じ取ることはできるし、黒のなかにも、いくらも光はある。音楽を聞くとき目を閉じていても光を感じることがあるように。最終的に現れる画布の表面的な色や光には、時間がつまっている。一瞬の一度限りのカリグラフィも、その筆字が生まれるまでには何度も書き直しては捨てられた文字がある。そして、その経過は動きとしてすべて身体のなかに刻まれている。

 昨日の夜、わたしが最初に絵を描いたときに使った古い着物の端切れを持って出かけた。何年か前、絵の教室に通っていた頃のこと、先生に、描きたいものの写真か雑誌の切り抜きを持ってきなさいと言われたのだが、どうしても「描きたいもの」というのが見つからなかった。それで、古い着物の端切れの模様と色を見ながら描いたのが最初の一枚だった。昨日は、ガブリエルにその端切れを見せたかったのだ。なぜなら、彼の作品を最初に見たとき、これは、着物の柄ではないかと思ったからだ。モチーフがとても日本的で、わたしがいつも目にしている帯や着物を思い起こさせた。色も、古い着物の色使いによく似ている。彼の絵をそのまま着物のデザインに使ったらとても斬新的だと思う。

 気がついてみたら、ガブリエルもわたしも、昨日は、まるで申し合わせたかのように、黒のジャケットとパンツ、白のシャツという、まったく同じコーディネートでの出で立ちだった。たぶん、わたしたちはとてもよく似ている。アルゼンチン生まれ、サン・フランシスコで美術を勉強していた彼、そして、フランス、イタリア、アルゼンチンを転々としてきた日本生まれのわたし。思考回路も感じ方もまったく違うのだろうけれど、どこかが似ている。

La muestra VIS A VIS
desde el 9/9 al 3/10/2010
http://www.ccborges.org.ar/exposiciones/expovisavis%205.htm