2010/11/01

魔法の国、ペルー


   リマの友だちの家はオリーブの公園の中にある。500年前にスペイン人たちが植えたものだ。幹が太く、木面はぼこぼこ、そんな老木が何百本もずっしりと根を張っている。気候は夏以外は低温多湿で身体の芯まで冷え切ってしまう。ブエノス・アイレスよりも緯度的にはずい分北なので温かいのかと思っていたら、まだ冬のような冷え込みだった。
 空からの眺めでは、アンデス山脈を越えた先はどこまでも白い雲に覆われ、なにも見えなかった。リマはその雲の下にあった。500年ものあいだこの気候のもとでよく育ったものだと思う。オリーブといえば地中海のからっとした天気を思い出すからだ。それにしても、この木たちは、コンキスタドールがここにやって来てからのことをすべて見ていたことになる。できることなら話が聞きたいものだ。
  
 ペルーの醍醐味というと食材の豊かさだろう。多くの野菜の原産国であり、特に芋類の種類の多さには目を見張る。アマゾンで採れるカムカムという果物はレモンの50~60倍ヴィタミンCを含有している。またサチャ・インチから作るオイルはオメガ3が48%以上。ペルーには木の実やハーブを使った料理も多い。ペルーのひとたちが穏やかなのは、充実した食生活によるのではなかろうか、とふと思った。肉ではなく野菜や果物、魚介が中心なのだ。
 10月はSeñor de los Milagros (奇蹟の主) の月だった。伝説の奇蹟のキリスト像(かつて大地震が起きたとき、この像のある壁だけは決して崩れなかった)を担いて街を行進する。リマの中心は紫色の垂幕、看板で埋まり、外国からも続々と行進に参加すべくカトリック信者が集まる。熱心な信者は紫色(Morado)に身を纏い一ヶ月を過ごすのだという。
 27日は交通の混雑が懸念されたので早朝から市内観光をすることにした。像が置いてあるリマ中心部のナザレノ教会では朝のミサが厳かに執り行われていた。そして、教会の周辺では、この行事につきもののお菓子Turrón がいたるところで売られていた。

 街にはアジア的なカオスがある。運転マナーはないに等しく、歩いているかのごとく車を前に進めるのがペルー式。前に障害物があれば空いているところを探す。かといって危険かというとそうでもなく、荒っぽさは感じられない。このカオスを見ていて思ったのだが、ペルーのひとびと、山から下りてきたひとびとは、鳥のような感覚を持っているのではなかろうか。高山では平面、直線などないのだから。
 面白いのはタクシーだった。メータがないので乗る前に運転手と値段交渉しなければならない。はじめて利用する観光客など相場がわからないひとはどうするのだろう。

 先月、友だちがペルーからブエノスに遊びに来たとき、骨董品収集が趣味で、ありとあらゆる装飾品をこよなく愛する彼女が、旅行鞄の中に見たこともないような果物やお茶、木の実などを詰めてやって来たのを見て驚いた。その果物を割ってカエルの卵のような実をむさぼっているのだ。ペルーのなにかが彼女を変えてしまった。それからというもの、わたしにはペルーという国がマジカルなものに思えてならなかった。

 桟橋の上に設えられたRosa Nautica という店で魚介類を満喫した。新鮮な魚が豊富に採れるということは海鳥の多さからも十分にうかがえる。海は相変わらず曇り空の下で暗い色をしている。窓際の手摺に一羽のカモメがとまった。店のひとに尋ねると、この鳥はいつもここに飛んでくるらしく、みんなにMilagro(奇蹟)と呼ばれているとのこと。

 海岸通りは石がぎっしり積み重なった崖の下にあり、大地震が起きたら間違いなく崩れそうなのだが、その上には観光客を迎えるための高層ホテルがずらりと並んでいる。ここも、世界のどこにもあるようないわゆる海沿いの観光地の風景になっていくのだろうか。大地震が起こらない限り、きっとそうなのだろう。でも、もし、起こったら、彼らはきっと、また奇蹟の主を信じ、鳥のように生きていくのだろう。彼らは、蘇らないものには関心がないのだ。この大地は、形のあるものを崩し、永遠の回帰を彼らに教えてきたのだろう。

2010/09/30

サン・テルモ、善悪の彼岸

 
 先週の日曜日、ペルーから遊びに来ているスペイン人の友だちドラとサン・テルモの骨董市に繰り出した。彼女は、ここで買い物するのが大好きで、ペルーに引越す前にもたくさん骨董品を買っていった。

 朝10時半ごろ、ドラが滞在中のミクロ・セントロ(中心街)まで歩いて出かけた。日曜日の朝は人通りもほとんどなくて快適と思いきや、アパートの前で呼び鈴を鳴らしていると、酔払いか薬中で舌がまわらない男の子が絡んできた。すかさず猛ダッシュ。遠くからようすを見ていると、こんどは歩いてきた二人連れの女の子に絡みはじめ、その子たちも走って逃げていった。朝っぱらから物騒なこと。夜はどんなだろうと思ってしまう。 というわけで、この日はちょっと嫌な始まり方だった。


 サン・テルモまではタクシーを拾うことにした。陽気でおしゃべりな運転手、観光客っぽいわたしたち(実はふたりともそうじゃないのだが)を乗せるとサン・テルモへご案内いたしましょう、ととても親切。ところが、オベリスコあたりでメーターの上がり方が早いことに気がついた。ほんの10区画ですでに25ペソまで達している。隠しボタンでチャカチャカとメーターを上げているに違いない。そんなときはすぐに降りるのが良策なのだが、いろいろと事件の多い昨今のブエノスなので、しぶしぶ30ペソ払ってタクシーを降りた。後で別のタクシーに聞いてみたら、多くて半額だろうとのこと。

 
 サン・テルモに到着すると、ドラが店のひとたちと気軽におしゃべりし始めた。こんなに大勢観光客がつめかけるなかで、しっかり顔を覚えているのだから、彼女はかなりインパクトがあるのだろう。わたしの知る限り、ドラはすでに数回は、こういう店で騙されている。善人との出会いももちろん多いのだけれど、悪人との出会いもかなりあったようだ。偽物の宝石をつかまされたり、法外な値段で売りつけられたり、引越し前に買った家具を梱包したまま荷物に積んでペルーに持って行き、向こうで開けてみたところ、おんぼろ家具にすり替えられていたり。騙すより騙される方が良いなんてよく言うけれど、こう度重なるとどうなんだろう。


 サン・テルモの骨董市には盗品が多いという噂もある。去年、警察署で一緒に展示会をした画家が教会に寄付した作品が盗まれ、その数ヵ月後、サン・テルモの骨董市を歩いていて偶然みつけたというエピソードがある。

 わたしはブエノスに住んでいながら、サン・テルモにはもう何年も行っていなかった。デフェンサ通りは露店でぎっしり。ところどころでジャズや南米音楽なども演奏していて、なかなか盛り上がっていた。アート・ギャラリーもさることながら、面白い南米素材のグッズもたくさん並んでいる。いくら詐欺まがいの商売が多いとはいえ、ブエノスに来たら寄らないわけにはいかない魅力的な場所である。

 帰りは、ボルヘスでやっている展示会に顔を出して、帰途、またタクシーを拾った。タクシーに対して用心深くなっているわたしたち。停まってくれたタクシーのおじさんの顔をドラが近くでじっと見極め、このひとなら大丈夫だと思ったのかなにも言わずにドアを開けて乗った。よくあることなのか、それとも、わたしたちの意向がわかったのか、「わたしは善人の顔でしょうか」と尋ねるおじさん。朝のいきさつを話すと、そういう輩がいるためにブエノスのタクシー運転手の評判が悪くなって困ると嘆いていた。

 ドラは、ひとを疑ってかかることはどうしてもできないのだという。いくら騙されてもサン・テルモをこよなく愛するドラだった。 


2010/09/10

La muestra VIS A VIS


  ブエノスのボルヘス文化センター (Centro Cultural Borges) で昨日からガブリエル・ロペス・サンティソ (Gabriel Lopéz Santiso) とわたしの展示会が始まった。2010年を通して開かれているこの"VIS A VIS"は、まったくスタイルの違うふたりの画家の作品を照らし合わせてなにかを感じてもらおうというもの。そのオープニングのレセプションが昨日の夜、開かれた。

 この日のために、これまでせっせと創作活動に専念してきたわけだが、大きな会場で作品を展示するのは今回がはじめて。前日の搬入のときにはじめてガブリエルと顔を合わせ、彼の作品を実際に目にしたのだが、アルゼンチンの素晴らしいアーチストと同じ空間をシェアできることをとても嬉しく思う。

 彼の作品は、わたしのとは対照的で、アクリル絵の具がふんだんに使ってある。カラフルなチューイングガムを細長く伸ばして貼り付けたようでボリューム感があり、それが、細かく網の目のように張り巡らされており、色が何層にも積み重ねられていて、色の下にまた色がある。色には濃淡はなくただひたすら平坦なのだがラインが奥行きを感じさせる。見事なファンタジーの世界だ。

 一方、わたしの作品は、絵の具の量がさっぱりわからない超エコロジックでエコノミック、まるで「空気のような筆使い」と言われている。 ガブリエルの作品の前にいると、エネルギーがこちらに押し寄せてくるのだが、わたしの絵は、そのなかに入っていけるような感じがする。幾重にも色が重なっているのでトーンは暗いけれど、だからといって明るさのないもの悲しい絵というわけではない。墨絵のなかにも光を感じ取ることはできるし、黒のなかにも、いくらも光はある。音楽を聞くとき目を閉じていても光を感じることがあるように。最終的に現れる画布の表面的な色や光には、時間がつまっている。一瞬の一度限りのカリグラフィも、その筆字が生まれるまでには何度も書き直しては捨てられた文字がある。そして、その経過は動きとしてすべて身体のなかに刻まれている。

 昨日の夜、わたしが最初に絵を描いたときに使った古い着物の端切れを持って出かけた。何年か前、絵の教室に通っていた頃のこと、先生に、描きたいものの写真か雑誌の切り抜きを持ってきなさいと言われたのだが、どうしても「描きたいもの」というのが見つからなかった。それで、古い着物の端切れの模様と色を見ながら描いたのが最初の一枚だった。昨日は、ガブリエルにその端切れを見せたかったのだ。なぜなら、彼の作品を最初に見たとき、これは、着物の柄ではないかと思ったからだ。モチーフがとても日本的で、わたしがいつも目にしている帯や着物を思い起こさせた。色も、古い着物の色使いによく似ている。彼の絵をそのまま着物のデザインに使ったらとても斬新的だと思う。

 気がついてみたら、ガブリエルもわたしも、昨日は、まるで申し合わせたかのように、黒のジャケットとパンツ、白のシャツという、まったく同じコーディネートでの出で立ちだった。たぶん、わたしたちはとてもよく似ている。アルゼンチン生まれ、サン・フランシスコで美術を勉強していた彼、そして、フランス、イタリア、アルゼンチンを転々としてきた日本生まれのわたし。思考回路も感じ方もまったく違うのだろうけれど、どこかが似ている。

La muestra VIS A VIS
desde el 9/9 al 3/10/2010
http://www.ccborges.org.ar/exposiciones/expovisavis%205.htm

2010/07/15

Permaculture in Italy

 
 友人夫妻が南イタリアに土地を購入しパーマカルチャーを始めた。ロシアから木材を取り寄せ、ログハウスの建築に取りかかったのは2008年3月のことだ。この夏、はじめてその家を訪ねてみた。モリーゼ州との境にあるアリーフェ(カンパーニャ州)は小さな町だが二千年前のローマの遺壁に囲まれた歴史のある町。彼らの敷地はそこから2キロほど離れた郊外にある。裏手にモリーゼの山々が連なるなだらかな傾斜はパーマカルチャーには理想的だが、友人夫妻にとって、そのすべてが生まれてはじめての経験だった。

 畑には、葡萄をはじめ、オリーブやトマト、ズッキーニ、茄子など、さまざまな作物が栽培されている。日照りなので散水は毎日なのかと思ったら、甘やかすと植物も自力で育たなくなるので水撒は週に一度なのだとか。ログハウスの屋根から雨水を配水管でタンクに移し、傾斜を利用して畑に配水できるようになっている。生活用水は71メートル掘ってようやくみつけた井戸から汲み上げて貯水している。ガスや電気の設備もすべてゼロから整えたのだそうだ。

 住まいには、いまのところログハウスの半地下をあてているそうだが、外気温の変化を感じないので快適に暮らせるとのこと。暖房は薪ストーブ。薪の作り方もじぶんで覚えた。種を植えて野菜や果物を育てることから水や暖の確保まで、毎日が新たな発見の連続で、あれこれ思い悩んでいる暇などないらしい。

 基本的に行っていることは、
①台所用洗剤は一切使用せず、熱めのお湯で布、スポンジなどで洗浄する。油汚れは食事中に使った紙ナプキンで落とす。
②トイレ掃除は、普段は市販のブラシで掃除し、週に一度小さなハンドタオルでトイレの水(大)を流しながら便器に手を突っ込んで素手で洗う。
③家庭菜園
④台所の排水を庭に直接流す
⑤生ゴミを捨てずにコンポストで肥料を作る
⑥コンポストトイレにする  

 
 そのうち、家畜も飼ってじぶんでさばきたいとのこと。いつか、お隣の鳩小屋で鳩を捕まえようとしていた奥さんの横で、ご主人が「最近、鳩が増えちゃってね」とひとこと。どうやら夜の食卓に上がるということらしい。そこで、サバイバルの知識の一環として生きた鳥のさばき方をかねてから知りたいと思っていた友人は、とうとうその日が来た!とお隣に出かけて行った。

その手順はというと、
①サッと鳩の首の羽をナイフでそいで首を切って血を出す。
②熱湯をかけて羽をむしる。これが意外と簡単にスポスポ抜けるらしい。
③そして、解体。

 日常的に口に運んでいる食物がどのようにできるのか、知識として多少知ってはいても、経験的にはまったく知らないのがわたしたち。いくら想像力を働かせても、実際に育ててみなくては解らないことだらけだろう。「こうだ」とひとことで説明できないのが自然や生きものの世界。そんな予測不可能な世界とのおつきあいは大きな冒険だ。なにも遠くに行かなくても、大きなことを考えなくても、足もとに無限の世界がある。ときには張り切りすぎて体調を崩したり、過労で倒れたりもした。壁にもたくさんぶつかってきた。けれども、彼らはコンスタントに明るい。持続可能な環境を作るにはまずじぶんが持続可能でなくてはならないのだろう。そんな彼らが逞しく感じられた。

2010/06/29

WAKA WAKA 2010


 2010年のW杯はどういうわけか密着している。これまではW杯があっても、いつ、どこで開催されているかすら知らなかったし、まったく興味がなかった。この変わりようはいったいなぜか。

 そのきっかけとなったのは、甥っ子DanieleのFacebookへの書き込み。それが琴線に触れた。

La storia sta per essere scritta. いま歴史がはじまろうとしている。
Oggi è il giorno dei Mondiali di Calcio. 今日からW杯がはじまる。
Per la prima volta in Africa. アフリカで、はじめて。
L'Uomo è nato lì ma, per tanto tempo, l'uomo stesso non ha consentito all'Africa di mostrare i suoi veri colori. 人類が誕生した土地であるにも関わらず、人類はその大地の本当の色を隠し続けていた。
Ora quel momento è arrivato. いま、そのときが来た。
Lo Sport e la Musica uniscono. スポーツと音楽がひとつになる。
"The Waiting is Over." もう待つ必要はない。
"It's in Your Hands"... きみたちの手のなかにある。
"Now it's time for Africa". アフリカの時代がやってきた。

 と、こんな具合。その後、開幕式を観て、試合を観ているうちに、なんだか凄く面白いことが起こっているような気がして、ずんずんのめり込んでいった。南米では国技と呼ばれるほどサッカーは国民のメンタル部分で重要な位置を占めている。巨人ファンの兄が、巨人が負けると不機嫌になったり、中日ファンの母が中日が不調だとじぶんも元気がなくなるように、スポーツというのは集合無意識を呼び覚ます。最初に観戦していて思い出したのはローマのコロッセオの闘技。もちろん生でみたことはないので映画のワンシーンなど。じぶんのなかの野生も刺激するような気がした。これは、わたしたちの根源的な部分に訴える、地球上の民族の祭典だ。以来、友だちの戦術分析を参考にしながらひたすら観戦し続けている。

 ちなみに、アルゼンチンでは、サッカーの放映は、公共チャンネルでメインの試合(視聴率が高そうな方)の生中継、それと同時に、ケーブルでもうひとつの試合が流され、もうふたつくらいは、常時、サッカー関係の分析や討論会、インタビューをやっている。南米ではサッカーの話題に事欠かないというのもあるだろう。とにかく、最近は朝から晩までそれだけで終わっている。毎日の生活がサッカー一色になるなんて!

 ところで、今回の日本帰国では気になったことがあった。現在の日本の若者は外国に関心を持っていないということだ。携帯とパソコンと仲間内のつきあいが楽しみで、外国のことにはまったく関心がないし知らない。知らなくてもいい。ネットでなんでもわかる時代だし、見たい景色も津々浦々いつでも簡単に拾い出すことができる。実際に労力・体力を使ってそこへ行きたいとも思わない。翻訳機械や辞書が普及して、覚えることは機械がやってくれる。脳みそを手の平に持ってじぶんは空っぽになる。と、そこまではいかないにしろ、なんだかちょっと寂しいと思った。

 街頭インタビューの「外国に住みたいですか?」という質問に「トイレとか汚そうだから嫌だ」、「食べものがまずそう」と答えている若者もいた。マラドーナが南アフリカのトイレ事情に困り、選手全員のために日本からウォッシュレットを取り寄せさせたというエピソードがあった。それ以来、南アフリカのお金持ちはウォッシュレットがブームなのだそう。あまりのタイムリーさに笑ってしまった。

 ユニクロの社内用語が英語になった。今後は日本から外国へ市場を拡大するという話。だいたい、ひとつの言語でまかなっているという状態は現在の世界のなかでは珍しいケースらしく、アフリカや欧州など数ヶ国語ができてあたりまえの世界なのだ(西江雅之の『「ことば」の課外授業』)。わたしは、ユニクロの選択がおかしいとは思わない。市場主義に走っているという感じはなきにしもあらずだが、それじゃあ、これから、どうするの?という単純な疑問も湧いてくるはず。日本のよいものを外国に紹介していくことが、どうして悪いのだろうとわたしは思うのだけれど。

 ふたつ、みっつの言語を使うことは、そのひとの生まれ育った文化を捨てることではないし、だいたい、じぶんを振り返ってみても、わたしのどこからどこまでが日本文化でどこからどこまでがイタリア、アルゼンチンなのか、首から上が日本で、指先がイタリアで、足の裏がアルゼンチン?わたしは、ひとりのひととして、固有の文化を生きている。

 渋谷の交差点でサムライブルーに熱狂し、お祭り騒ぎをした若者たちを見て少し救われた。日本のあちこちでみんながこの勇敢な戦士(というと語弊があるかも知れないけれど)たちにチューニングしていると思うと嬉しい。

 これは、アルゼンチンでも同じように感じることだし、イタリアでも同じこと。わたしのなかに共存する文化がそれに同調している。

2010/06/22

A voi amici...




A voi amici,


Quando la sorgente è pura, l'amicizia nasce da sola.

Mentre faccio i giri del mondo, mi fermerò sempre ad

attingere acqua alla vostra sorgente.



Questa terra, che era per me sconosciuta, non aveva mai smesso di

porgermi un sorriso, una mano o un sorso d'acqua.



Mi rendo conto solamente adesso che senza di voi non sarebbe mai

stato possibile apprezzare così sinceramente con serenità, il suo dono

infinito che da essa sorge.



La vostra presenza accanto a me, la forza di reggermi in piedi.



il 31 luglio 2007
Piazza Nicola-Amore
Roccamonfina, Italia

2010/03/21

La Felicità



E crescendo impari che la felicità non e' quella delle grandi cose.
Non e' quella che si insegue a vent'anni, quando, come gladiatori si combatte il mondo per uscirne vittoriosi...
la felicità non e' quella che affanosamente si insegue credendo che l'amore sia tutto o niente,. ..
non e' quella delle emozioni forti che fanno il "botto" e che esplodono fuori con tuoni spettacolari...
la felicità non e' quella di grattacieli da scalare, di sfide da vincere mettendosi continuamente alla prova.

Crescendo impari che la felicità e' fatta di cose piccole ma preziose...
...e impari che il profumo del caffe' al mattino e' un piccolo rituale di felicità, che bastano le note di una canzone, le sensazioni di un libro dai colori che scaldano il cuore, che bastano gli aromi di una cucina, la poesia dei pittori della felicità, che basta il muso del tuo gatto o del tuo cane per sentire una felicità lieve.

E impari che la felicità e' fatta di emozioni in punta di piedi, di piccole esplosioni che in sordina allargano il cuore, che le stelle ti possono commuovere e il sole far brillare gli occhi, e impari che un campo di girasoli sa illuminarti il volto, che il profumo della primavera ti sveglia dall'inverno, e che sederti a leggere all'ombra di un albero rilassa e libera i pensieri.

E impari che l'amore e' fatto di sensazioni delicate, di piccole scintille allo stomaco, di presenze vicine anche se lontane, e impari che il tempo si dilata e che quei 5 minuti sono preziosi e lunghi più di tante ore, e impari che basta chiudere gli occhi, accendere i sensi, sfornellare in cucina, leggere una poesia, scrivere su un libro o guardare una foto per annullare il tempo e le distanze ed essere con chi ami.

E impari che sentire una voce al telefono, ricevere un messaggio inaspettato, sono piccolo attimi felici.
E impari ad avere, nel cassetto e nel cuore, sogni piccoli ma preziosi.

E impari che tenere in braccio un bimbo e' una deliziosa felicità.
E impari che i regali più grandi sono quelli che parlano delle persone che ami...
E impari che c'e' felicità anche in quella urgenza di scrivere su un foglio i tuoi pensieri, che c'e' qualcosa di amaramente felice anche nella malinconia.

E impari che nonostante le tue difese, nonostante il tuo volere o il tuo destino, in ogni gabbiano che vola c'e' nel cuore un piccolo-grande Jonathan Livingston.

E impari quanto sia bella e grandiosa la semplicità.

(Fabio Volo)

≪幸福≫ 

大きくなったらわかるよ。本当の幸福は大業を成すことじゃないんだよ。
二十歳のころは僕だって世界を向こうにまわして勝負しようとしていた。
まるでグラディエーターみたいだよね。

幸福というのは、息せき切って追いかけるもんじゃない。
そう、愛とはなにか、その答えを出そうとしたりしてね。

また、みんなをあっと驚かせるような目だったことをすることでもないんだ。
幸福っていうのは、摩天楼を制覇しようと頑張ることでもない。

そのうちわかるよ。幸福というのは、本当は小さなことにあるんだ。たとえば、毎朝いれるコーヒーの香りとか、歌とか、こころ和ませてくれる本とか、台所のにおいとか、幸せそうな絵とか。じぶんの飼い猫や犬の顔を見ているだけでもいい。

幸福というのは、ほんの些細なことでもこころが満たされるっていうことなんだ。星はきみを感動させることもできるんだよ。太陽だって目を輝かせることができる。ひまわり畑もきみの顔を照らすことができるんだ。春になれば、木陰に座って本を読んだりもできる。気持ちが休まるよ。

愛っていうのはね、近くにいるひと(遠くにいるひともそうだけど)に感じる、本当に細やかな思いやりのことなんだよ。こころのこもった時間であれば、ほんの5分が何時間よりも意味があったりする。

目を閉じて感覚を目覚めさせてごらん。料理をしたり、詩を読んだり、本を書いたり、写真を見たりしていたら、時間と距離なんかなくなってしまう。そして、じぶんのたいせつなひとたちと過ごすんだ。

電話やメッセージを受け取ることだって幸福だよ。こころの引き出しに小さな夢をとっておくことも大事だ。

本当に、そのうちわかるようになるよ。赤ん坊を抱っこすることが喜びだっていうこと。そして、最大の贈りものは、たいせつなひとたちの言葉かな。忘れないようにじぶんの考えを書きとめたりするのも幸福。悲しいことのなかにだって、それなりの幸福は見つけられるものだしね。

わかってほしい。きみがどんな風に生きていこうと、だれもがあの小さな偉大なるジョナサン・リヴィングストンなんだ。

わかってほしい。素朴で純真であることが、どんなに美しいことか。

2010/03/19

Nuovi orizzonti


 一昨年の秋、パリのギャラリーのコンクールに参加した。モンパルナスにあるギャラリーまで応募の書類を持って、ホテルからてくてく歩いて行ったわけだが(そのときにアラン通りを見つけた)、そこで待っていた主宰者のパブロさんが、パブロというからにはスペイン語圏の出身なのだろうけれど、まさかブエノスのひとだとは夢にも思わなかった。

 日本人のわたしが、ブエノスからコンクールに直々に応募に来るというのも珍しいケースだったのだろう。とても驚いていた。そして、イタリア、フランス、アルゼンチンの三カ国で映画の共同制作を考えているが、わたしにも加わらないかともいう。でもね、わたし、まだまだ駆け出しですよ。

 コンクールでは二位を受賞させていただいたけれど、あれ以来映画の話も特に持ち上がらず、没ったのだろうと思っていたら、そうでもなさそうだ。そのパブロさんが、今ブエノスに来ている。どうやら、わたしが、あのギャラリーの扉を開けてブエノスの空気を届けたときから、一度ブエノスに帰ってみようと思い始めたらしい。ブエノスが僕を呼んでいる~としきりに叫んでいた(笑)

 彼がパリに移住したのは30年前。当時のアルゼンチンには軍事政権が敷かれており、多くのインテリ学生たちが捕らえられて抹殺された。学生たちはヨーロッパ(特にパリ)に逃げるほかになかった。15年振りに戻ったアルゼンチンは、パリに住む彼の目にはとても新鮮に映っているようだ。

 今日は、マルバ美術館でキューバ展があるというので一緒に出かけてみた。パブロさんのお嬢さんのフロレンシア(彼女はパリでタンゴを教えている)や35年振りに再会した旧友のべべ、そして、ボルヘスの展示会を手がけるマッシモやイタリア関係のジャーナリストのルチア、それから、上智に留学していたというマイテ、そして、その友だちのパリジャンでルーマニアのブカレスト在住のジャーナリスト、ミラノ領事館にいたアルゼンチンの外交官、そしてそして、とにかく、ぞろぞろと芋づる式にみんなに会うことができた。キューバ展のヴェルニサージュということで、みんなドレスアップしていたけれど、わたしはそうとは知らず、ただの展示会だと思ってジーパンと黒のTシャツというスタイル。でも、違和感はなし(笑)

 ここでひとつ不思議な話。一昨年パリに行っているとき、わたしはフリエッタの紹介で行くようになったヨガの学校で絵の展示をしていた。映画のことでパブロさんと繋がったルチアの家はその隣のブロックにあり、パブロさんの親友ライモンドが経営している心理学専門の書店はヨガの学校の一本違いの筋に。そして、フリエッタもパブロさんのブエノス・パリの文化交流に協力することに。わたしは、いつのまにか、パリとブエノスを結ぶアンテナになっていた。海亀マジックだ。

 今夜は、マイテとパリジャンのジャーナリスト、そして、べべとパブロさんと、ブエノスの作家や画家がよく集まるfiloというピッツェリアに行った。そこでまた、フリオ・ピレラ・キロガ(Julio Pirrera Quiroga)という作家に出会い、その著書『El árbol de las urracas』をいただいた。イタリア関係の友だちの友だちにも会い、もう出会いが出会いを生んで、留まるところを知らず。パリから来たパブロさんのおかげで、わたしのブエノスでの交友関係がたちまちのうちに広がっていった。ここで送るあと一年ちょっとが、この先のローマでの生活に繋がっていくような気がする。

 ちなみに、パブロさんは、詩人。そして芸術関係の映画も制作している。最近、本をパリで出版したのだが(『Le rien plein de joies』)、それもこちらでスペイン語で出版するらしい。実は、わたしも、数日前にようやく三年越しの小説一本を書き終えた。展示会が終わって一息入れたらスペイン語に翻訳する予定。もちろん今度はじぶんで(笑)

2010/02/19

Sea Turtle!


 
 ある日、ワイキキで海水浴をしていたら三匹の海亀があらわれた。その大中小の三匹は、ずいぶん長いあいだ、混雑した遊泳区域で頭を出したり引っ込めたりしていた。これは、かなり珍しいことなのではないかと思う。最初に見つけたのはマーク。泳いでいたら丸い物体が近寄ってきたのでパニックになりそうだったのだという。偶然なのか、彼の買ったばかりのボディ・ボードの絵が、それと同じ、三匹の大きさの違う海亀。絵の世界から飛び出してきたんじゃないかと思ってしまう。
 
 海亀は「神さまの使い」。浦島太郎の亀も、海という異次元トンネルを抜けてあちらにある竜宮城へ連れて行ってくれる。そこは、ニライカナイ、南洋の果てにある魂のふるさと。海亀に出会うのは "Auspicious"(幸運)だから、なんだか嬉しくなってコナの木(ハワイのみに自生する聖なる木)でできた三匹の海亀のブレスレットをお守り代わりにすることにした。

 ブエノスに帰ってから立て続けに偶然が起こっている。偶然には慣れているのでまったく不思議はないけれど、なにかに気づかせるように起こってくれているような気がしてならない。いったいなんのために?

「時間が進んでいった先には、わたしたちはどこから来て、どこへ行くの?への答えなんてないんだよ」

 この言葉が頭のなかを過ぎる。長距離を移動する旅をしていると、物理的な時間ばかりに気を取られてしまう。いつのまにか、「ああして、こうして、それから今度は・・」という生活に追われ、時間は直線的に前に進むものとしか感じなくなってしまう。ブエノスに戻ってからもそんな生活をしていたら、偶然が起こり始めた。そのとき、まるで、異次元トンネルがそこにあるかのように、それまでの場所と時間の感覚が壊れた。海亀だ!

 先日、Magorium(マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋)という映画を観た。ダスティン・ホフマン演じるマゴリアムおじさん、いつも笑顔でいる友だちのアンジェロにあまりにも似ていて、まるでアンジェロが演じているような気がした。服装もさることながら、歩き方や仕種、話し方から顔の表情にいたるまでそっくりだ。それだけではない。アンジェロには、本当にマゴリアムおじさんなのかも知れないと思わせるようなところがある。

 現実では彼はリアリストだ。そうでなければ医者稼業などできない。ネクタイ屋の主人という副業も持つが、メスが鋏に、皮膚が布地に変わっただけで、通じるものがある。でも、なにをしていても、彼は決してメカニカルにはならない。ファンタスティックなのだ。だんだんアンジェロが海亀に見えてきた!

 243歳のマゴリアムおじさん、じぶんがこの世を去る決意をするのだが、悲しい顔などまったく見せない。わたしは、映画を観ながら、いつかアンジェロがくれた詩のことを思い出していた。


Un frutto: il sorriso

esiste:
esiste il bene ed il male
esiste il bello ed il brutto
esiste il buono ed il cattivo

pensa:
pensa al bene e somatizzi un sorriso!
pensa al bello e somatizzi un sorriso!
pensa al buono e somatizzi un sorriso!

pensa:
pensa al male...t'inaridisce e rattrista.
pensa al brutto...t'inaridisce e rattrista.
pensa al cattivo....t'inaridisce e rattrista.

vivi:
vivi la vita gaia e gioiosa
vivi e.....sorridi
pensa e.....sorridi
muori e.....sorridi


 「人間の知覚も思想も想像も及ばない、徹底的に異質な領域が「ある」ということを、「古代人」は知っていた。つまり、世界は生きている人間のつくっている「この世」だけでできているのではなく、すでに死者となった者や、これから生まれてくる生命の住処である「あの世」または「他界」もまた、世界を構成する重要な半分であることを「古代人」は信じて疑わなかったのである。」(『古代から来た未来人 折口信夫』中沢新一) 

 

2010/02/08

Where are you from?

 

 ヴァカンスのあいだ、ハワイでは、どこへ行ってもこう聞かれた。

 Where are you from? 

 常夏の楽園ではあるが、ホノルルは立派な国際都市でもある。ハワイからブエノスに戻ってきたとき、コスモポリスであるはずのブエノスが世界の片隅に思えた。足の踏み場もないほど混みあったワイキキ・ビーチでは、そのひとりひとりがすべて違った国籍と文化的背景を持っているといっても過言ではない。そこは、まるで平和な国際文化交流の舞台のようだった。

 だから、どこに行ってもまずは、Where are you from? と聞かれる。そのたびに返事に困った。住んでいるのはアルゼンチンだけれど、国籍となるとひとことでは説明できない。ところが、聞いてくる相手もそのエスニック・バックグラウンドは複雑とみえて、どんな答えが返ってきてもそう驚きはしない。祖国から遠く離れて長いひとばかりなのだ。

 今回、わたしたちは、あるチャイニーズ・アメリカンに出会った。カンボジア生まれ。幼少で家族とアメリカに亡命した彼は、アメリカンとして育った。学校を卒業した後、家業を手伝ったりしていたが、What's my life? と問い直し、じぶんの人生をじぶんの手でゼロからやり直そうとハワイにやって来た。オープンマインドとチャレンジ精神というのが彼の哲学だ。

 では、なぜハワイだったのか?

 人種の坩堝、文化の混在、メインランドと同じように社会問題はやはりある。でも、それよりも圧倒的に大きな力を振るっているものがここにはあった。せこせこしたものをすべて黙って呑み込んでくれるものがあったのだ。だから、アイロニックにならずに済むし、ひとともストレートに笑顔で向き合える。

 もうひとつつけ加えるとすれば、間近にアイランダーたちの生き方を肌で感じることも、潜在的に生き方を変える手助けになっているのかも知れない。強くていつも正しいアメリカが島の小さな文化と触れ合ったとき、What's been my life? と問い直すことになる。じぶんたちの価値観だけで世界は動いていると思っていたひとびと。豪邸を建ててサンセットさえも独り占めしていると勘違いしているひとびと。自由の代償に孤独を引き受けることになってしまった彼ら。そんな彼らの傍にある小さな文化は、悠久の歴史の鼓動を足の裏に感じ続けている。大地に繋がっているのだ。

 南洋の植物を見ていると尖がったものがないのに気づく。葉っぱも枝もゆるやかに大地に向かって垂れている。防衛のために硬直したり攻撃的になったりする必要がないのだ。強風にもしなやかに揺らぐ。バニアンのキオーマ(葉の茂み)は、大きな森のように広がる。その緑の塊はいくつもの幹に支えられているが、上に伸びる空間がなくなってしまった枝たちは、方向を変えて大地へ向かう決意をした。それが、キオーマをさらに育てることになる。

 Where are you from?

 わたしは、いつになったらMother Earthと、こころの底から答えられるようになるのだろう。