2010/03/19

Nuovi orizzonti


 一昨年の秋、パリのギャラリーのコンクールに参加した。モンパルナスにあるギャラリーまで応募の書類を持って、ホテルからてくてく歩いて行ったわけだが(そのときにアラン通りを見つけた)、そこで待っていた主宰者のパブロさんが、パブロというからにはスペイン語圏の出身なのだろうけれど、まさかブエノスのひとだとは夢にも思わなかった。

 日本人のわたしが、ブエノスからコンクールに直々に応募に来るというのも珍しいケースだったのだろう。とても驚いていた。そして、イタリア、フランス、アルゼンチンの三カ国で映画の共同制作を考えているが、わたしにも加わらないかともいう。でもね、わたし、まだまだ駆け出しですよ。

 コンクールでは二位を受賞させていただいたけれど、あれ以来映画の話も特に持ち上がらず、没ったのだろうと思っていたら、そうでもなさそうだ。そのパブロさんが、今ブエノスに来ている。どうやら、わたしが、あのギャラリーの扉を開けてブエノスの空気を届けたときから、一度ブエノスに帰ってみようと思い始めたらしい。ブエノスが僕を呼んでいる~としきりに叫んでいた(笑)

 彼がパリに移住したのは30年前。当時のアルゼンチンには軍事政権が敷かれており、多くのインテリ学生たちが捕らえられて抹殺された。学生たちはヨーロッパ(特にパリ)に逃げるほかになかった。15年振りに戻ったアルゼンチンは、パリに住む彼の目にはとても新鮮に映っているようだ。

 今日は、マルバ美術館でキューバ展があるというので一緒に出かけてみた。パブロさんのお嬢さんのフロレンシア(彼女はパリでタンゴを教えている)や35年振りに再会した旧友のべべ、そして、ボルヘスの展示会を手がけるマッシモやイタリア関係のジャーナリストのルチア、それから、上智に留学していたというマイテ、そして、その友だちのパリジャンでルーマニアのブカレスト在住のジャーナリスト、ミラノ領事館にいたアルゼンチンの外交官、そしてそして、とにかく、ぞろぞろと芋づる式にみんなに会うことができた。キューバ展のヴェルニサージュということで、みんなドレスアップしていたけれど、わたしはそうとは知らず、ただの展示会だと思ってジーパンと黒のTシャツというスタイル。でも、違和感はなし(笑)

 ここでひとつ不思議な話。一昨年パリに行っているとき、わたしはフリエッタの紹介で行くようになったヨガの学校で絵の展示をしていた。映画のことでパブロさんと繋がったルチアの家はその隣のブロックにあり、パブロさんの親友ライモンドが経営している心理学専門の書店はヨガの学校の一本違いの筋に。そして、フリエッタもパブロさんのブエノス・パリの文化交流に協力することに。わたしは、いつのまにか、パリとブエノスを結ぶアンテナになっていた。海亀マジックだ。

 今夜は、マイテとパリジャンのジャーナリスト、そして、べべとパブロさんと、ブエノスの作家や画家がよく集まるfiloというピッツェリアに行った。そこでまた、フリオ・ピレラ・キロガ(Julio Pirrera Quiroga)という作家に出会い、その著書『El árbol de las urracas』をいただいた。イタリア関係の友だちの友だちにも会い、もう出会いが出会いを生んで、留まるところを知らず。パリから来たパブロさんのおかげで、わたしのブエノスでの交友関係がたちまちのうちに広がっていった。ここで送るあと一年ちょっとが、この先のローマでの生活に繋がっていくような気がする。

 ちなみに、パブロさんは、詩人。そして芸術関係の映画も制作している。最近、本をパリで出版したのだが(『Le rien plein de joies』)、それもこちらでスペイン語で出版するらしい。実は、わたしも、数日前にようやく三年越しの小説一本を書き終えた。展示会が終わって一息入れたらスペイン語に翻訳する予定。もちろん今度はじぶんで(笑)