2010/06/22

A voi amici...




A voi amici,


Quando la sorgente è pura, l'amicizia nasce da sola.

Mentre faccio i giri del mondo, mi fermerò sempre ad

attingere acqua alla vostra sorgente.



Questa terra, che era per me sconosciuta, non aveva mai smesso di

porgermi un sorriso, una mano o un sorso d'acqua.



Mi rendo conto solamente adesso che senza di voi non sarebbe mai

stato possibile apprezzare così sinceramente con serenità, il suo dono

infinito che da essa sorge.



La vostra presenza accanto a me, la forza di reggermi in piedi.



il 31 luglio 2007
Piazza Nicola-Amore
Roccamonfina, Italia

2010/03/21

La Felicità



E crescendo impari che la felicità non e' quella delle grandi cose.
Non e' quella che si insegue a vent'anni, quando, come gladiatori si combatte il mondo per uscirne vittoriosi...
la felicità non e' quella che affanosamente si insegue credendo che l'amore sia tutto o niente,. ..
non e' quella delle emozioni forti che fanno il "botto" e che esplodono fuori con tuoni spettacolari...
la felicità non e' quella di grattacieli da scalare, di sfide da vincere mettendosi continuamente alla prova.

Crescendo impari che la felicità e' fatta di cose piccole ma preziose...
...e impari che il profumo del caffe' al mattino e' un piccolo rituale di felicità, che bastano le note di una canzone, le sensazioni di un libro dai colori che scaldano il cuore, che bastano gli aromi di una cucina, la poesia dei pittori della felicità, che basta il muso del tuo gatto o del tuo cane per sentire una felicità lieve.

E impari che la felicità e' fatta di emozioni in punta di piedi, di piccole esplosioni che in sordina allargano il cuore, che le stelle ti possono commuovere e il sole far brillare gli occhi, e impari che un campo di girasoli sa illuminarti il volto, che il profumo della primavera ti sveglia dall'inverno, e che sederti a leggere all'ombra di un albero rilassa e libera i pensieri.

E impari che l'amore e' fatto di sensazioni delicate, di piccole scintille allo stomaco, di presenze vicine anche se lontane, e impari che il tempo si dilata e che quei 5 minuti sono preziosi e lunghi più di tante ore, e impari che basta chiudere gli occhi, accendere i sensi, sfornellare in cucina, leggere una poesia, scrivere su un libro o guardare una foto per annullare il tempo e le distanze ed essere con chi ami.

E impari che sentire una voce al telefono, ricevere un messaggio inaspettato, sono piccolo attimi felici.
E impari ad avere, nel cassetto e nel cuore, sogni piccoli ma preziosi.

E impari che tenere in braccio un bimbo e' una deliziosa felicità.
E impari che i regali più grandi sono quelli che parlano delle persone che ami...
E impari che c'e' felicità anche in quella urgenza di scrivere su un foglio i tuoi pensieri, che c'e' qualcosa di amaramente felice anche nella malinconia.

E impari che nonostante le tue difese, nonostante il tuo volere o il tuo destino, in ogni gabbiano che vola c'e' nel cuore un piccolo-grande Jonathan Livingston.

E impari quanto sia bella e grandiosa la semplicità.

(Fabio Volo)

≪幸福≫ 

大きくなったらわかるよ。本当の幸福は大業を成すことじゃないんだよ。
二十歳のころは僕だって世界を向こうにまわして勝負しようとしていた。
まるでグラディエーターみたいだよね。

幸福というのは、息せき切って追いかけるもんじゃない。
そう、愛とはなにか、その答えを出そうとしたりしてね。

また、みんなをあっと驚かせるような目だったことをすることでもないんだ。
幸福っていうのは、摩天楼を制覇しようと頑張ることでもない。

そのうちわかるよ。幸福というのは、本当は小さなことにあるんだ。たとえば、毎朝いれるコーヒーの香りとか、歌とか、こころ和ませてくれる本とか、台所のにおいとか、幸せそうな絵とか。じぶんの飼い猫や犬の顔を見ているだけでもいい。

幸福というのは、ほんの些細なことでもこころが満たされるっていうことなんだ。星はきみを感動させることもできるんだよ。太陽だって目を輝かせることができる。ひまわり畑もきみの顔を照らすことができるんだ。春になれば、木陰に座って本を読んだりもできる。気持ちが休まるよ。

愛っていうのはね、近くにいるひと(遠くにいるひともそうだけど)に感じる、本当に細やかな思いやりのことなんだよ。こころのこもった時間であれば、ほんの5分が何時間よりも意味があったりする。

目を閉じて感覚を目覚めさせてごらん。料理をしたり、詩を読んだり、本を書いたり、写真を見たりしていたら、時間と距離なんかなくなってしまう。そして、じぶんのたいせつなひとたちと過ごすんだ。

電話やメッセージを受け取ることだって幸福だよ。こころの引き出しに小さな夢をとっておくことも大事だ。

本当に、そのうちわかるようになるよ。赤ん坊を抱っこすることが喜びだっていうこと。そして、最大の贈りものは、たいせつなひとたちの言葉かな。忘れないようにじぶんの考えを書きとめたりするのも幸福。悲しいことのなかにだって、それなりの幸福は見つけられるものだしね。

わかってほしい。きみがどんな風に生きていこうと、だれもがあの小さな偉大なるジョナサン・リヴィングストンなんだ。

わかってほしい。素朴で純真であることが、どんなに美しいことか。

2010/03/19

Nuovi orizzonti


 一昨年の秋、パリのギャラリーのコンクールに参加した。モンパルナスにあるギャラリーまで応募の書類を持って、ホテルからてくてく歩いて行ったわけだが(そのときにアラン通りを見つけた)、そこで待っていた主宰者のパブロさんが、パブロというからにはスペイン語圏の出身なのだろうけれど、まさかブエノスのひとだとは夢にも思わなかった。

 日本人のわたしが、ブエノスからコンクールに直々に応募に来るというのも珍しいケースだったのだろう。とても驚いていた。そして、イタリア、フランス、アルゼンチンの三カ国で映画の共同制作を考えているが、わたしにも加わらないかともいう。でもね、わたし、まだまだ駆け出しですよ。

 コンクールでは二位を受賞させていただいたけれど、あれ以来映画の話も特に持ち上がらず、没ったのだろうと思っていたら、そうでもなさそうだ。そのパブロさんが、今ブエノスに来ている。どうやら、わたしが、あのギャラリーの扉を開けてブエノスの空気を届けたときから、一度ブエノスに帰ってみようと思い始めたらしい。ブエノスが僕を呼んでいる~としきりに叫んでいた(笑)

 彼がパリに移住したのは30年前。当時のアルゼンチンには軍事政権が敷かれており、多くのインテリ学生たちが捕らえられて抹殺された。学生たちはヨーロッパ(特にパリ)に逃げるほかになかった。15年振りに戻ったアルゼンチンは、パリに住む彼の目にはとても新鮮に映っているようだ。

 今日は、マルバ美術館でキューバ展があるというので一緒に出かけてみた。パブロさんのお嬢さんのフロレンシア(彼女はパリでタンゴを教えている)や35年振りに再会した旧友のべべ、そして、ボルヘスの展示会を手がけるマッシモやイタリア関係のジャーナリストのルチア、それから、上智に留学していたというマイテ、そして、その友だちのパリジャンでルーマニアのブカレスト在住のジャーナリスト、ミラノ領事館にいたアルゼンチンの外交官、そしてそして、とにかく、ぞろぞろと芋づる式にみんなに会うことができた。キューバ展のヴェルニサージュということで、みんなドレスアップしていたけれど、わたしはそうとは知らず、ただの展示会だと思ってジーパンと黒のTシャツというスタイル。でも、違和感はなし(笑)

 ここでひとつ不思議な話。一昨年パリに行っているとき、わたしはフリエッタの紹介で行くようになったヨガの学校で絵の展示をしていた。映画のことでパブロさんと繋がったルチアの家はその隣のブロックにあり、パブロさんの親友ライモンドが経営している心理学専門の書店はヨガの学校の一本違いの筋に。そして、フリエッタもパブロさんのブエノス・パリの文化交流に協力することに。わたしは、いつのまにか、パリとブエノスを結ぶアンテナになっていた。海亀マジックだ。

 今夜は、マイテとパリジャンのジャーナリスト、そして、べべとパブロさんと、ブエノスの作家や画家がよく集まるfiloというピッツェリアに行った。そこでまた、フリオ・ピレラ・キロガ(Julio Pirrera Quiroga)という作家に出会い、その著書『El árbol de las urracas』をいただいた。イタリア関係の友だちの友だちにも会い、もう出会いが出会いを生んで、留まるところを知らず。パリから来たパブロさんのおかげで、わたしのブエノスでの交友関係がたちまちのうちに広がっていった。ここで送るあと一年ちょっとが、この先のローマでの生活に繋がっていくような気がする。

 ちなみに、パブロさんは、詩人。そして芸術関係の映画も制作している。最近、本をパリで出版したのだが(『Le rien plein de joies』)、それもこちらでスペイン語で出版するらしい。実は、わたしも、数日前にようやく三年越しの小説一本を書き終えた。展示会が終わって一息入れたらスペイン語に翻訳する予定。もちろん今度はじぶんで(笑)

2010/02/19

Sea Turtle!


 
 ある日、ワイキキで海水浴をしていたら三匹の海亀があらわれた。その大中小の三匹は、ずいぶん長いあいだ、混雑した遊泳区域で頭を出したり引っ込めたりしていた。これは、かなり珍しいことなのではないかと思う。最初に見つけたのはマーク。泳いでいたら丸い物体が近寄ってきたのでパニックになりそうだったのだという。偶然なのか、彼の買ったばかりのボディ・ボードの絵が、それと同じ、三匹の大きさの違う海亀。絵の世界から飛び出してきたんじゃないかと思ってしまう。
 
 海亀は「神さまの使い」。浦島太郎の亀も、海という異次元トンネルを抜けてあちらにある竜宮城へ連れて行ってくれる。そこは、ニライカナイ、南洋の果てにある魂のふるさと。海亀に出会うのは "Auspicious"(幸運)だから、なんだか嬉しくなってコナの木(ハワイのみに自生する聖なる木)でできた三匹の海亀のブレスレットをお守り代わりにすることにした。

 ブエノスに帰ってから立て続けに偶然が起こっている。偶然には慣れているのでまったく不思議はないけれど、なにかに気づかせるように起こってくれているような気がしてならない。いったいなんのために?

「時間が進んでいった先には、わたしたちはどこから来て、どこへ行くの?への答えなんてないんだよ」

 この言葉が頭のなかを過ぎる。長距離を移動する旅をしていると、物理的な時間ばかりに気を取られてしまう。いつのまにか、「ああして、こうして、それから今度は・・」という生活に追われ、時間は直線的に前に進むものとしか感じなくなってしまう。ブエノスに戻ってからもそんな生活をしていたら、偶然が起こり始めた。そのとき、まるで、異次元トンネルがそこにあるかのように、それまでの場所と時間の感覚が壊れた。海亀だ!

 先日、Magorium(マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋)という映画を観た。ダスティン・ホフマン演じるマゴリアムおじさん、いつも笑顔でいる友だちのアンジェロにあまりにも似ていて、まるでアンジェロが演じているような気がした。服装もさることながら、歩き方や仕種、話し方から顔の表情にいたるまでそっくりだ。それだけではない。アンジェロには、本当にマゴリアムおじさんなのかも知れないと思わせるようなところがある。

 現実では彼はリアリストだ。そうでなければ医者稼業などできない。ネクタイ屋の主人という副業も持つが、メスが鋏に、皮膚が布地に変わっただけで、通じるものがある。でも、なにをしていても、彼は決してメカニカルにはならない。ファンタスティックなのだ。だんだんアンジェロが海亀に見えてきた!

 243歳のマゴリアムおじさん、じぶんがこの世を去る決意をするのだが、悲しい顔などまったく見せない。わたしは、映画を観ながら、いつかアンジェロがくれた詩のことを思い出していた。


Un frutto: il sorriso

esiste:
esiste il bene ed il male
esiste il bello ed il brutto
esiste il buono ed il cattivo

pensa:
pensa al bene e somatizzi un sorriso!
pensa al bello e somatizzi un sorriso!
pensa al buono e somatizzi un sorriso!

pensa:
pensa al male...t'inaridisce e rattrista.
pensa al brutto...t'inaridisce e rattrista.
pensa al cattivo....t'inaridisce e rattrista.

vivi:
vivi la vita gaia e gioiosa
vivi e.....sorridi
pensa e.....sorridi
muori e.....sorridi


 「人間の知覚も思想も想像も及ばない、徹底的に異質な領域が「ある」ということを、「古代人」は知っていた。つまり、世界は生きている人間のつくっている「この世」だけでできているのではなく、すでに死者となった者や、これから生まれてくる生命の住処である「あの世」または「他界」もまた、世界を構成する重要な半分であることを「古代人」は信じて疑わなかったのである。」(『古代から来た未来人 折口信夫』中沢新一) 

 

2010/02/08

Where are you from?

 

 ヴァカンスのあいだ、ハワイでは、どこへ行ってもこう聞かれた。

 Where are you from? 

 常夏の楽園ではあるが、ホノルルは立派な国際都市でもある。ハワイからブエノスに戻ってきたとき、コスモポリスであるはずのブエノスが世界の片隅に思えた。足の踏み場もないほど混みあったワイキキ・ビーチでは、そのひとりひとりがすべて違った国籍と文化的背景を持っているといっても過言ではない。そこは、まるで平和な国際文化交流の舞台のようだった。

 だから、どこに行ってもまずは、Where are you from? と聞かれる。そのたびに返事に困った。住んでいるのはアルゼンチンだけれど、国籍となるとひとことでは説明できない。ところが、聞いてくる相手もそのエスニック・バックグラウンドは複雑とみえて、どんな答えが返ってきてもそう驚きはしない。祖国から遠く離れて長いひとばかりなのだ。

 今回、わたしたちは、あるチャイニーズ・アメリカンに出会った。カンボジア生まれ。幼少で家族とアメリカに亡命した彼は、アメリカンとして育った。学校を卒業した後、家業を手伝ったりしていたが、What's my life? と問い直し、じぶんの人生をじぶんの手でゼロからやり直そうとハワイにやって来た。オープンマインドとチャレンジ精神というのが彼の哲学だ。

 では、なぜハワイだったのか?

 人種の坩堝、文化の混在、メインランドと同じように社会問題はやはりある。でも、それよりも圧倒的に大きな力を振るっているものがここにはあった。せこせこしたものをすべて黙って呑み込んでくれるものがあったのだ。だから、アイロニックにならずに済むし、ひとともストレートに笑顔で向き合える。

 もうひとつつけ加えるとすれば、間近にアイランダーたちの生き方を肌で感じることも、潜在的に生き方を変える手助けになっているのかも知れない。強くていつも正しいアメリカが島の小さな文化と触れ合ったとき、What's been my life? と問い直すことになる。じぶんたちの価値観だけで世界は動いていると思っていたひとびと。豪邸を建ててサンセットさえも独り占めしていると勘違いしているひとびと。自由の代償に孤独を引き受けることになってしまった彼ら。そんな彼らの傍にある小さな文化は、悠久の歴史の鼓動を足の裏に感じ続けている。大地に繋がっているのだ。

 南洋の植物を見ていると尖がったものがないのに気づく。葉っぱも枝もゆるやかに大地に向かって垂れている。防衛のために硬直したり攻撃的になったりする必要がないのだ。強風にもしなやかに揺らぐ。バニアンのキオーマ(葉の茂み)は、大きな森のように広がる。その緑の塊はいくつもの幹に支えられているが、上に伸びる空間がなくなってしまった枝たちは、方向を変えて大地へ向かう決意をした。それが、キオーマをさらに育てることになる。

 Where are you from?

 わたしは、いつになったらMother Earthと、こころの底から答えられるようになるのだろう。