2009/11/24

長い旅の途上


 Life is what happens to you while you are making other plans.

「日々の暮らしのなかで、今、この瞬間とは何なのだろう。ふと考えると、自分にとって、それは“自然”という言葉に行き着いてゆく。目に見える世界だけではない。“内なる自然”との出会いである。何も生みだすことのない、ただ流れてゆく時を、取り戻すということである。」

 2002年6月、ミラノの仲間と一緒にヴェネチアで開催されるビエンナーレという美術展覧会を見に行ったとき(出展したのは仲間の彫刻家Codice Biancoさん)、わたしは、列車の中で星野道夫さんの『長い旅の途上』を読んでいました。星野さんの存在を教えてくれたのは、ミラノ在住の写真家仁木さんです。星野さんの生きかたは、わたしにとってとても衝撃的でした。日本の生活を捨ててアラスカへ。なにが彼をそんなに遠くまで行かせてしまったのか。

 わたしの長い旅もすでに始まっていました。それを特に感じたのはイタリアに住み始めてからです。そのとき、わたしはもう日本国籍を失っていました。「わたしは国籍なんかにこだわる人間じゃない」と思い始めていたのかも知れません。でも、まだまだ口先だけでした。イタリアで活動しているアーチストの仲間たちは、島から島へと自由に飛ぶ鳥のようでした。彼らには国籍も国境も関係ない。あるのは、その向こうにあるなにかへ到達したいという願望だけ。そんな彼らの生きかたに、わたしは憧れていたのです。

 そんなとき、沖縄ではじめてザトウクジラの水中撮影に成功した大学の後輩の写真集に出会いました。それから、わたしはクジラに会ってみたいと思うようになりました。彼らには国籍なんかないじゃないか、と。その願いが叶ったのは、2005年の誕生日、アルゼンチンのヴァルデス半島でのことでした。南極からアルゼンチンまで命懸けで回遊し、出産・子育てをする母クジラを目の前に、小さなことで悩んでばかりいる自分がちっぽけな存在に思えてならなかった。厳しい自然のなかで生きる彼らが偉大に思えてしかたがなかった。

「クジラは圧倒的な生きものだった。・・・・僕たちは巨大なクジラに感動する。それは、生命のもつ不思議さというより、一頭のクジラの一生を超えた果てしない時の流れにうたれているような思いがする。それは人間をも含めた生物の進化とか、地球とか、宇宙につながっていくような存在だった」

 あれからもう何年が過ぎたのでしょう。クジラの回遊にはおよびませんが、北と南半球の八つの季節を何度も往復しました。心をいくつにも切り刻んで愛すべきひとびとのもとに置いてゆきたいと、なんど思ったことか。「また会えるんだから」という何の保障もない慰めだけを頼りに、地球の裏側へ飛んでいく鳥。この忍耐強い回遊を繰り返しているうちに、わたしが学んだことは、どこかへ帰ることではなく、二度と会えないことを覚悟のうえで飛び立つ勇気だったのかも知れません。

「それぞれの美しい季節にこの世であと何度、巡り合えるのか。その数を数えるほど人の一生の短さを知るすべはない。」

 いつからか、自分の生命と自然とを切離して考えることができなくなったという星野さん。すっかり自然と同じになってしまっていた星野さん。あなたは、あなたを襲った熊を恨んでいますか。ここに生きることの「約束」がどういうことなのかよく知っていたあなたは、あの熊ですら愛せてしまうのではないですか。

 あなたのような大きな魂が存在しうるということだけでも、知ることができて良かった。わたしもこれから長い旅を続けます。永遠が相手なら、なにも急ぐことはない。ゆっくり歩いてゆきます。

「わたしは、次第に『色がそこに在る』というのではなく、どこか宇宙の彼方から射してくるという実感を持つようになった。色は見えざるものの領域にある時、光だった。我々は、見えざるものの領域にある時、霊魂であった。色も我々も、根元は一つのところから来ていると。そうでなくて自然の色彩がどうして我々の魂を歓喜させるのだろうか。」

(『長い旅の途上』星野道夫)

Photo by Robin M.
Peninsula Valdes y Puerto Madrin

11 件のコメント:

Chiquita さんのコメント...

"siamo cittadini del mondo!"

常々私が思っているこの言葉、先週のイベントでも聞きました。
「その時」を過ごすために、いとも軽々と大陸を超えて飛び回る人たち。
「どこから来たのか、誰なのか」ではなく、「これから何をするのか」にフォーカスすると、そうなります。

まっくろくろすけ さんのコメント...

星野道夫さんは、僕にとって写真の心の師匠です。
星野さんの著作は、すべて読みました。
星野さんは、初期の頃には、アラスカで暮らす動物・自然・人たちに魅かれて撮影されはじめましたが、晩年の「森と氷河と鯨」にあるように、”たましい”にまで深く思いを馳せられています。

そして”たましい”が還るべき場所が自然であり、その繰り返しにより、生きることの輝き・安らぎがえられるように僕は考えています。

ryosuke iida さんのコメント...

星野さんいいですね。
流れ流れていたようで、でも彼もアラスカに根を張るべく家を建てたんですよね。流れ続けて、よどみたくはないけれど、どこかに根を張りたい気持ちは、分かる気もします。

それとも男だから、根を張る、じゃなくて、帰るべき港が欲しかっただけかな?ちょっと本を読み返してみよう……

悠々として急げ、漂えど沈まず by 開口師

ryosuke iida さんのコメント...

漂えど沈まず、ってラテン語がオリジナルだったようです。パリのモットーだそうで。知りませんでした。
http://it.wikipedia.org/wiki/Fluctuat_nec_mergitur

Yuko Iwasaki さんのコメント...

Chiquitaさん

「地球の住人」という言葉、わたしも最近よく耳にします。そういう意識を持つひとが多くなったことは、オンラインのコミュニケーションで地球が狭くなったこととも関係があるだろうと思います。実際に空間を分かち合うことが難しいのなら、文字の上だけでも結びついていると思えるのは、良いことだと思います。これから、国境もなくなっていくのではないかな。いつか、地球のパスポートができると良いですね。

Yuko Iwasaki さんのコメント...

まっくろくろすけさん

まっくろくろすけさんも、素晴らしい自然の写真をよく撮っておられますね。自然をこよなく愛しておられることが、写真から伝わってきます。

『森と氷河と鯨』という本、ぜひ読んでみたいと思います。そして、たましいが自然に還ることについてもっと考えてみたいと思います。

Yuko Iwasaki さんのコメント...

Ryoさん

「悠々として急げ、漂えど沈まず」

開口先生のお言葉、良いですね。Ryoさんも山を愛しておられるので、星野さんに通じるところがたくさんおありだろうと思います。そして、流離いびと。だった。想像ですが(笑)

Fluctuat nec mergiturがパリ市のモットーとは、知りませんでした。またひとつ勉強になりました!

悠々として急げは、Festina Lenteになるのかな。これもラテン語、わたしのもうひとつのブログのタイトルです。

谷口真吾 さんのコメント...

長い旅を放浪するには夢と希望と健康と神の愛が必要だと思います。

「私の国籍は天にある」とどこかのクリスチャンが言ってますが、ワシはまだそんな悟りには至ってはいない。

Yuko Iwasaki さんのコメント...

ビゴさん

今日、地球のパスポートをもらうためにもし必要条件があるとしたらなんだろう、と考えていました。100か条くらい作って、それが全部満たせたら天国の国籍がもらえるとか。

でも、それを与えるのってだれなんでしょうね^^

谷口真吾 さんのコメント...

いや、われわれは既に天に国籍があるではありませんか。
洗礼を受けたときがそうだとしたら・・・。

ただ実感がないのですよ、不信仰なダメクリなもんで。

Yuko Iwasaki さんのコメント...

ビゴさん

先に洗礼してもらって、それから100か条満たすように努力するっていうのが、ここいらでのやり方のような気がします。

100か条満たせたらもらう、そんなことできるひと、どこにもいないんでしょうね。

神さまは、結構穏やかで、できなきゃできないで、そうぴりぴり言われないような気もしますけどね。^^